SMALL GIANTS

2025.05.22 17:15

「お客さまのわがまま」をそのまま商品に 1480通りのカスタマイズ受注

「家業を継ぐのは当たり前」──そんな言葉を幼い頃から刷り込まれて育った藤田盛一郎さん。

しかし、待っていたのは安売り競争の波にもまれ、先細りする鉄製品業界だった。就職活動をせずにそのまま飛び込んだ家業で、「長く売れるものを作りたい」と一念発起。ヒット商品「ひえーるタンブラー」、オーダーメイドのフライパン、そして食卓に置いても馴染むデザインを兼ね備えた「フライパンジュウ」。時代に合わせて価値を再定義し、世界のバイヤーも注目する町工場へと進化を遂げた。

家業の"常識"を覆した若き四代目の挑戦、その歩みと信念に迫る。

事業承継総合メディア「賢者の選択 サクセッション」から紹介しよう。(転載元の記事はこちら


「いずれ家業を継ぐ」と言われ続けて​​

──家業を継ぐことについて、どのような考えをお持ちでしたか?

子どもの頃から親に「いずれ家業を継ぐものだ」と言われ続けてきました。会うたびにその話をされるので、自然と洗脳されたような感覚です。なので、跡継ぎになるのは当たり前のことだと思っていました。

ただ、若い頃はそれがどれだけ重要なことなのかは、深く考えていませんでした。家業の跡を継ぐというのは「単に仕事を受け継ぐ」ことではなく、「歴史や想いを背負う」ことだと、今は実感しています。

──会社については、どのような認識を持っていましたか?

正直、深く理解していませんでした。週末、父親について会社のイベントを手伝いに行く程度で、「商品を作っている会社なんだな」と漠然と思っていたくらいです。実際の事業内容や業界の構造までは全く知らずにいました。

家業というのは、ただ製品を作るだけでなく、顧客との信頼関係の構築や、会社の方向性を考える重要な役割があることを知ったのは、入社してからです。

ガソリンスタンドで掴んだ「インセンティブ」

──進学については、どのように考えていたのですか?

大学進学は「とりあえず卒業しておこう」という考えでした。特に勉強に興味があったわけでもなく、何かを学ぶために進学したというよりは、形式的なものだったと思います。就職活動もせず、そのまま家業に入りました。

家業に対する理解が浅かった分、大学時代は自由に過ごしていましたが、今考えると、もっと多くの知識を吸収しておくべきだったと感じます。

──学生時代は、学業よりもアルバイトに励んだそうですね。

ガソリンスタンドでアルバイトをしていました。そこでは、オイル交換などのオプションを取れると自分の時給にインセンティブとして反映される仕組みでした。

アルバイトでありながら売上ランキングで順位がつくという、数字に対して厳しい環境におかれていて、「結果を出さないと評価されない」という現実を実感しました。

結局7年間働き、この経験は、後に営業をする際にも大きく役立ちました。結果を重視し、どれだけの成果を出せるかが評価につながることを学びました。

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